天安門事件年表および資料集

投稿日 :2019年5月27日

天安門事件年表および資料集

1989年4月
15日 胡耀邦死去。彼は80年代改革派の一人だった。北京大学に追悼の壁新聞が出る。
17日 4000人の学生デモが天安門に起きる
18日 学生ら、政府に民主化を求める要求提出
19日 李鵬氏に対し対話を求めて座り込み
20日 学生と警官隊衝突、負傷者が出る
22日 人民大会堂で政府による胡耀邦追悼会、しかし、学生らの要求は受理されず
24日 40大学、約6万の学生がスト突入
26日 人民日報、学生運動を「動乱」と批判
27日 学生、人民日報報道に抗議デモ
共産党内部でも、袁木ら学生運動を批判するグループと、趙紫陽など一定評価するものに別れる

5月
4日 54運動記念デモ(学生数万人参加)その後も学生、市民、ジャーナリストらの対話要求が続く
13日 学生数百名が天安門広場で抗議ハンスト突入
15日 ゴルバチョフ中国訪問(18日まで)
19日 趙紫陽、ハンスト学生を見舞う、自分がくるのが遅すぎたと涙ぐんで訴える
同時期、李鵬、学生運動を動乱とみなし、戒厳軍出動による「治安維持」を発言
20日 北京主要地域に戒厳令施行
23日 李鵬退陣を求めるデモ
26日 天安門学生指導部内で、広場の死守か撤退かの議論続く
30日 「民主の女神」天安門広場に設置

6月
2日 劉暁波ら4名の知識人、ハンスト決行
3日 軍が北京に侵攻。市民が抗議して進軍を拒もうとするが、北京市戒厳軍司令部は「妨害するものはあらゆる手段により排除する」と表明。
6月4日 深夜、戒厳軍の戦車、装甲車が強行突入、学生、市民に多数の犠牲者が出る。いわゆる「64天安門事件」勃発


天安門事件年表および資料集

※1989年5月13日、天安門に集まった学生・市民の民主化運動を「動乱」と呼び、対話を拒否し続ける中国政府に対して行われたハンスト抗議の際に発表された文章です。

(1)5.13ハンスト宣言

北京大学ハンスト団のハンスト宣言

この光まばゆき5月、我々はハンストを行う。この最も美しい青春の時期、我々は一切の生の美しさを後に残していかざるをえない。だが、我々の心の何と重く、満たされないことか。
しかし、国家はすでにその時を迎えたのだ。物価は高騰し、官僚ブローカーはのさばり、権力は高くそびえたち、官僚は腐敗し、多くの志ある人々は海外に流浪し、社会の治安はますます混乱を深めている。この民族存亡の瀬戸際において、同胞よ、すべての良心ある同胞よ、我々の叫びを聞いてほしい。
国家は我々の国家である
人民は我々の人民である
政府は我々の政府である
我々が叫ばなければ、誰が叫ぶのか
我々がやらなければ、誰がやるのか
我々は行く、ゆかざるを得ないのだ。歴史はそう我々に求めている。
我々の最も汚れ亡き愛国の感情、我々の最も優れた純粋な魂が、「動乱」と呼ばれ、「下心がある」とよばれ、「一握りの人間に利用されている」と決めつけられている。
我々はすべての公正実直な中国の公民に訴える。労働者、農民、兵士、庶民、知識人、名士、官僚、警察官、そして我々の罪をでっちあげた人たちに訴える。胸に手を当て、考えてほしい。我々にどんな罪があるのか?我々は動乱を引き起こしたのか?我々はストライキを行い、デモを行い、ハンストを行い、この身を捧げたが、それがいったいどんな罪に当たるというのか?
だが、我々の感情は何度ももてあそばれた。我々は飢えを偲び真理を求めたのに、軍隊警察にめちゃくちゃに殴られ、学生代表は膝まづいて民主主義を求めたのに、観てみないふりをされ、平等な対話の要求は何度も踏みにじられ、学生の指導部の身は危険にさらされている。
我々はどうすべきか?
民主主義は人生におけるもっとも崇高な生存感情であり、自由は人が生まれながらにして持っている天賦の人権である。しかしその獲得のためには、我々が命を引き換えにしなければならないというのだ。これが、わが中国の誇りだとでもいうのか?
ハンストはやむを得ず行うのだ。行わざるを得ないのだ。(中略)
さようなら、人民よ、我々がこのようにやむを得ない方法でしかあなた方の支持にこたえられなかったことを許してほしい。
我々が命を懸けて書き上げたこの誓いの言葉は、必ずや共和国の空を晴れ上がらせるだろう

北京大学ハンスト団全学生
1989年5月13日(「天安門の渦潮」岩波書店より)

天安門事件年表および資料集
※北京に戒厳令が敷かれ、軍事的弾圧が迫りつつあった1989年6月2日、後に獄中で亡くなる劉暁波他3名(周蛇、高新、候徳健)が、天安門広場で抗議のハンストに立ちあがった時の文書です。文書は劉暁波の手になるものと思われます。

(2)6.2ハンスト宣言

我々はハンストを行う!我々は抗議する!我々は訴える!我々は悔い改める!

我々は死を求めるのではない。我々は真の生を求めるのだ。
李鵬政府の非道な軍事暴力の強圧の下、中国の知識人は出すのは手でなく口ばかりという何千年続いてきた軟弱病に別れを告げ、行動によって軍事管制に抗議し、行動によって新たな政治文化の誕生を呼び掛け、行動によって我々の長期にわたる軟弱さが犯してきた過ちを悔い改めねばならない。中国の立ち遅れに関しては、我々一人一人に責任がある。

1、中国史上空前の今回の民主化運動は、一貫して合法的、非暴力的、理性的な平和的方法によって、自由、民主、人権をかちとろうとしてきた。しかし、李鵬政府はあろうことか、数十万の軍隊を動員して、身に寸鉄もおびぬ学生と民衆を弾圧したのだ。我々のハンストはもはや請願ではなく、戒厳令と軍事管制に抗議するものである!(中略)
我々は暴力を恐れはしない。我々は平和的方法によって民主的勢力の強靭さを示し、銃剣やデマを頼りに維持される非民主的秩序を粉砕するのだ!

2、中国数千年の歴史は、暴をもって暴に易(か)え、互いに憎しみあうことの連続であった。近代になっても、この仇敵意識は中国人の遺伝となっている。
1949年以降の(中華人民共和国建国以降の)「階級闘争をかなめとする」とのスローガンは、憎悪感情、仇敵意識、暴をもって暴に易えるという伝統を極端にまで推し進めたものである。今回の軍事弾圧にも、「階級闘争」型の政治文化が示されている。だからこそ我々はハンストを行い、中国人が今この時より仇敵意識と憎悪感情を徐々に取り除き、「階級闘争」型の政治文化を徹底的に放棄せんことを訴えるのだ。なぜなら、憎悪はただ暴力と専制をもたらすのみだからである。
我々は民主的な寛容の精神と助け合いの意識によって、中国における民主の建設に着手すべきである。民主政治とは、仇敵と憎悪のない政治であり、相互の尊重、寛容、妥協の上に立った話し合い、討論、採決があるのみである。総理として重大な過ちを犯した李鵬は、民主的手続きに照らして引責辞任すべきである。
しかし、李鵬は我々の仇敵ではない。たとえ退陣するにせよ、彼は公民としての権利を有するし、さらには誤った主張を持ち続ける権利すら有するのである。我々は、政府から一般公民一人一人に至るまで、古い政治文化を捨て、新しい政治文化に着地するように訴える。我々は政府が直ちに軍事管制をやめることを要求する。そして、学生と政府双方が、新たに平和交渉と話し合いの方法によって、双方の対立を解決することを呼び掛ける。

3、今回の学生運動は、社会の各階層から空前の同情、理解、支持を勝ち得た。しかし否めないのは、多くの人々の学生運動に対する支持は人道上の同情心や政府への不満からであって、政治的責任感を持った公民意識を欠いていることである。
公民意識とはまず第一に、政治的権利は平等であるとの意識である。各公民はみな、自分の政治的権利が総理と平等であるという自覚を持たなければならない。
第二に、公民意識とは単なる正義感、同情心ではない。それにもまして、理性的な参加意識、つまり政治的責任感である。各人は同情、支持を与えるだけではなく、民主の建設に直接参加しなくてはならない。
最後に、公民意識は責任と義務を負うとの自覚である。社会政治が合法的、合理的であることは各人の功績であるが、社会政治が非合法的、非合理的であることにも各人の責任はある。民主化された政治においては、各人はまず公民であり、その上で学生、教授、労働者、軍人となるのである。

4、数千年来、中国社会は古い皇帝を打倒して新しい皇帝を建てるという悪循環を繰り返してきた。歴史が証明しているように、民心を失った指導者が退陣し、民心を得た指導者が登場するだけでは、中国政治の実質問題を解決できはしない。我々に必要なのは、完全無欠の救世主ではなく、完備した民主制度である。
だから、我々はここに次のことを呼び掛ける。まず第一に、社会全体が各種の方法によって合法的民間自治組織をうちたて、政府の政策決定をチェックする民間の政治勢力を形成していくこと。なぜなら、民主の精髄はチェックアンドバランスであるからだ。

5、今回の運動においては、政府と学生どちらの側にも過ちがあった。政府の過ちは主として古い「階級闘争」型の政治思惟に支配されて、後半な学生、市民に対立する側に立ち、衝突をますます激化させたことである。
学生の過ちは、主として自らの組織作りが不十分で、民主を勝ち取ろうとする過程で、多くの非民主的要素を表面化させたことである。だから我々は政府と学生双方が冷静な自己反省をするようよびかけるものである。
全体について言えば、今回の運動の過ちは主として政府の側にあると我々は考える。デモ、ハンスト等の行動は、人民が自らの願いを表明するための民主的方法であり、まったく合法的なものであって、動乱などでは全くない。
それなのに、政府の側は憲法が公民一人一人に認めた基本的権利を無視し、専制政治の考え方でもって、今回の運動を動乱と決めつけ、そこからさらに一連の誤った政策を導き出し、ついには運動を次第にエスカレートさせ、対立をますます激化させた。それ故、真に動乱を引き起こしたのは政府の誤った政策なのである。そのゆゆしさは「文革」にも劣らない。(中略)
学生側の過ちは、主に組織内部の混乱や効率及び民主的手続きの欠如に現れている。例えば、目標は民主的だが、手段・行動は非民主的だとか、理論は民主的だが、具体的問題の処理は非民主的であるとか、協力精神に欠け、権力の奪い合いをして、意思決定がまちまちになるとか、財政面での混乱とか物質面での浪費とか、感情が過多で理性が足りず、特権意識が過剰で平等意識が不足しているなどである。
ここ100年来、中国人民の民主を勝ち取る闘争はほとんどイデオロギーとスローガンのレベルにとどまっていた。我々は、民主政治の真の実現とは、作業の過程、手段、手続きの民主化であると考える。それ故我々は、中国人民は伝統的なイデオロギー化、スローガン化、目標一点張りの空虚な民主を捨て去り、作業の過程、手段、手続きの民主化の建設に着手し、思想啓蒙を中心としてきた民主運動を、実際の作業としての民主運動に転嫁すべきだと呼びかける。

6、(前略)民主的に国家を治めること、このことがどの中国公民にとっても初めての経験であることは認めざるを得ない。すべての中国公民は、党と国家の指導者を含めて、一から学ばなくてはならない。この過程で、政府と民衆の双方が過ちを犯すことは不可避である。要は、過ちに気づいたらすぐにそれを改め、過ちから学び、過ちを成功への財産に変えることであり、過ちをたえず改めることを通じて、民主的に我々の国家を治めるすべを徐々に学んでいくことである。

我々の基本的スローガン
1、我々に敵はいない!憎悪と暴力によって、我々の知恵と中国の民主化の過程を阻害してはならない!
2、我々は皆反省しなくてはならない!中国の立ち遅れには、一人一人にその責任がある!
3、我々はまず公民である!
4、我々は死を求めるのではない、我々は真の生を求めるのだ!(「天安門の渦潮」)