「戦車男」撮影は奇跡-天安門事件25年でカメラマン語る ウォール・ストリート・ジャーナル

投稿日 :2014年5月31日

2014 年 5 月 29 日 14:53 JST
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304817704579591243886605498

 写真家のジェフ・ワイドナー氏は、1989年6月5日に中国・北京の天安門広場近くで、戦車隊の前に立ちはだかった有名な「タンクマン(戦車男)」の写真を撮った人物だ。天安門事件では民主化運動をする学生たちが弾圧され、世界に衝撃が走った。

 当時AP通信のカメラマンだったワイドナー氏は、事件から25年になるのを前に、中国を最近再訪した。当時撮った写真の展覧会を香港で開催するためだ。同氏はウォール・ストリート・ジャーナルに対し、1989年に撮った「戦車男」以外のあまり知られていない写真、近く香港で開催される追悼式典、それに天安門事件以降の中国での体験を語った。

――あなたは香港で毎年6月4日に行われている天安門事件の追悼式に出席する予定だが、出席することについてどう感じているか。

 信じられない光景になるだろうと思う。ここに来る前に、極めて慎重に考えたが、事件後25年を経て、そうすることが正しいように思えた。25年前、信じられないようなことが起こった。何千人ものデモ参加者が街頭に出て、民主主義のために戦った。

 それは当時ニュースになる大事件だったが、個人的にも影響を受けた。私は殺されかけた。ジャーナリストは多くの場合、偏見を持たず、中立であることが求められるが、同時にわれわれは人間でもある。私は25年前の事件のその後に非常に高い関心を持っている。とりわけ、ここの一般市民の反応を見てみたい。

――あなたが撮った「戦車男」の写真を、同じ現場で撮られた他の写真数枚と比べてどう思うか。

 それら全てにそれぞれの趣(おもむき)があるが、私が撮った写真にランプ(街灯)が入っていた点が気に入っている。これが凝縮感と深みを与えている。

 この写真を見ると、私がこの写真を危うく撮り損ねそうになったことを思い出す。私は自宅の壁にさえ、この写真を飾っていない。なぜなら、取り損ねそうになったことを思い出すたびに身震いするからだ。シャッター速度は余りにも遅くて、自動カメラは適切なシャッター速度に調整しようとしていた。シャッター速度30分の1秒で800ミリレンズで撮影する場合、これほど長い焦点距離の撮影は不可能だ。この写真が撮れたのは奇跡だった。

――これらの写真とネガをどのように保存していたのか。

 これらの写真がここにあることさえ奇跡に近い。多くのネガは何年もの間に失われてしまったが、いくつかのネガのコピーをとってあったので、多くを生き返らせることができた。フルカラーで復元できたのはつい最近だ。

――「戦車男」の写真以外で、天安門事件当時に撮ったお気に入りの写真はあるか。

 歌う女性警官の写真が気に入っている。当時は人々がストレスを抱え、怒りっぽくて不機嫌になっていた。そんな中で、ある女性警官が多少なりともストレスを和らげていた。子供たちがやって来て、警察官たちに水を渡すこともあった。警察官の中にはデモ隊に同情的な人も一部にいたが、それでも彼らは職務を遂行しなければならなかった。そこには、何か魔法のようなことが起こりつつあるという希望のような感情があった。しかし、みな事態がエスカレートしつつあることを心配していた。私は6月3日の夜、APの別のカメラマンとサイクリングをしていた際、「嫌な予感がする」と言ったのを覚えている。

――その後、北京を訪れたか。

 2009年6月、英国放送協会(BBC)が20周年のドキュメンタリーを製作するということで、北京を訪れた。それは自分にとって感傷的な体験だった。建国飯店(ホテル)に滞在することを決めた。私が1989年にも滞在したホテルだ。竹、バーにある椅子など、当時とほとんど同じように見えた。もちろん、弾痕のあったガラス窓は交換されていたが、そこには心地よい何かがあった。当時からそこが何も変わっていないことに伴う心地よさだ。私は感傷に浸りながら、天安門広場まで歩いていくことを決めた。かなり遠かった。非常に多くの変化に気付いた。スターバックスも、西洋流のレストランも何軒もあり、全く違う場所になっていた。多くのホテル・スタッフは20年前よりずっとフレンドリーになっていた。